ねっとりとした風が漂う「風立ちぬ」

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実に3ヶ月ぶりの更新となった。
理由としては、映画以外にまともに更新する内容がない上に、その映画も見られないほどどたばたした日々を過ごしていたからだ。
久しぶりに映画館を訪れ、良い映画はないかと探していたところに、話題作である「風立ちぬ」を見つけた。
どう考えても流行に乗り遅れた時期だなあと思いつつも、宮崎駿の長編引退作ということになっているのでチケットを買った。

風立ちぬはジブリ映画の最新作で、宮崎駿自身が連載していた漫画を原作としている。
実在する人物、堀越二郎氏の半生と、そこに堀辰雄氏の小説「風立ちぬ」を元にしたオリジナル要素を混ぜ込んだ作品で、彼が零式艦上戦闘機(いわゆるゼロ戦)を完成させるまでと、それを支えた一人の女性との悲しい恋を描いている。

映画の冒頭、少年時代に夢のなかでイタリアの航空技師「ジャンニ・カプローニ伯爵」と出会い、それをきっかけに飛行機の設計士になることを志す。
そこまでは気持ちよく見れたのだが、これが終わってすぐに最初の落とし穴がある。青年期へと移り、愛らしい少年の声から文字通り声変わりする。そう、庵野秀明氏による青年・堀越二郎の登場だ。
ここは慣れていくしかないと思いながら見ているが、53歳の(声優としては)素人の男性による演技はとても大学生には聞こえなかった。

ジブリ映画では、本業が声優でない人による声優が恒例となっている。
それ自体は特に否定はしないのだが、他の登場人物は少なくとも演技の経験がある人選で、声優としての演技ではないにしろとても魅力的だ。
そんな中、主人公である堀越二郎だけが全くの素人ボイスで、これが最初の慣れていないうちだけとかではなくて最後まで徹底して素人臭い。

これについては公式サイトのコメントなどで、宮崎監督自身の希望であり、この素人らしい…というより、庵野氏らしい声と演技のままを出すというのが演出意図のようだ。

私自身は、その演出意図をうまく受け取ることができなかったようだ。どうにも批判的な目線にばかりなってしまった。
演技に変化がない声に、私はどこか怖くなってしまった。主人公から「人間らしさ」が感じられないのだ。
今どんな気持ちなのかというのが全く見えてこないので、例えば目の前でつらい思いをしている人を助けるようなシーンでも、そこに主人公が哀れみとかの感情を持たず、機械的に人を助けているように感じた。
他作品を例えに出してしまって申し訳ないのだが、「化物語」シリーズに登場した羽川翼のような。

特にもっとも違和感を覚えたのが、突然休暇で軽井沢に行くシーンだ。
流れとしては、飛行機のテスト飛行で事故 → 海外に研修 → 突然の療養 といった流れである。
この療養は飛行機事故からの失意が原因らしいが、ただでさえ間に海外研修のシーンが入ってるため流れがわかりづらい上に、そこまで落ち込んでるように見えなかった(聞こえなかった)ので、最初はちょっとオフィスが変わったのかなくらいに思っていた。
この療養地でのエピソードが半分くらい進んで、登場人物の会話の中でようやく療養中であることに気づいた。

と、ここまで演技の下手さに対して批判ばかりしていたのだが、彼の声にはもうひとつの特徴がある。それは「性」だ。

夫婦生活の訪れとともに、性的な響きを感じさせはじめる声

悲恋の相手である里見菜穂子との出会いを経て、二人の仲が深まっていくとともに、何故か庵野氏の声がねっとりと感じられた。
演技をしない50代の男性の声には、妙に生々しい「性」を感じさせられるのだ。

風立ちぬの中で堀越夫婦は頻繁にキスをする。
それも、ほっぺにチューといった可愛らしいものではなく、口にかなりねっとりとしたキスをしていた。また、性交渉があるということをかなりわかりやすく描いたりもしていた。
そういった描写の中で、庵野氏の声が一人の「男」の声として際立っていく。

アニメ映画における恋愛というと、青春を思い出す甘酸っぱいものであることが多い。
あるいは熟年夫婦のほっこりとしたものの場合もある。
しかし、恋が成就して夫婦になり、その直後の情熱的な期間を描いているのはあまり見かけない。
この、なんとも言えない性を感じさせられる恋愛に私は正直引いてしまった。

おそらくこれを自分に置き換えられないのが問題なのだろう。
庵野氏の声で語られるそれは、夫婦の秘事を打ち明けられたような気分にさせて、なんとも気まずい気持ちになるのだ。

この物語と庵野氏の演技(あるいは宮崎監督の演出意図)を正しく受け取るには、私はまだ若すぎたようだ。
あと30年もすれば、堀越二郎の想いを受け取ることができるのだろうか。
うーん…。

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